本大会は佐世保市出身で戦前の日本陸上競技長距離界において活躍された故小柳早見氏の栄誉を讃える大会として開催されています。
全国に佐世保市発の新春走り初めのロードレース大会として、県内外から多くの参加者を集める一大イベントで、令和元年度で第70回を数えました。
佐世保市はこんなところ!
佐世保市は長崎県の北部、日本本土最西端に位置し、西海国立公園「九十九島(くじゅうくしま)」に代表される自然に恵まれた都市です。古くは旧海軍の軍港が置かれた「港まち」であり、戦後は米海軍基地と自衛隊基地が置かれ、港にまつわる文化を所々に見ることができます。また、日本最大級のテーマパーク「ハウステンボス」や西海国立公園「九十九島」をはじめとする観光都市としても知られており、様々な顔を持つ魅力あふれる都市です。



小柳早見さんってどんな人?
(佐世保市民スポーツ情報サイト「PLAY!」から引用)
明治三十六年(一九〇三)二月二日に佐賀県神埼郡池町西名で生まれた小柳さんは、旧制佐賀中学校を卒業した十七歳の時に佐世保にやってきました。
小柳さんのスポーツ開眼は、中学校時代に当時陸上界の第一人者といわれた野口源三郎氏と出会い、その教えを受けたことです。佐世保に出てきてからは佐野病院、田崎病院に勤め、今でいえば自家用車の運転手にあたる人力車の車夫として働きました。
それは、日常も陸上長距離ランナーとしてのトレーニングを兼ねてのことでした。人力車は直径一メートルもある車輪をふたつ備えた乗り物で、座席の前にかじ棒が付き、車夫がそれを引っ張って走ります。車輪が付いているとはいえ、人間ひとりを乗せて走るのですから、足腰をはじめ全身の筋力アップにはもってこいの仕事です。
こうして、佐世保の町を走る小柳さんは名物男として名を知られたということです。特に、本島町の田崎病院は、小児科の名医として知られた人だったので、子どもたちにも名を知られていったということです。
小柳さんの戦歴は明治神宮大会の一万メートルに出場六回。大正十四年の第二回大会で三十三分四十五秒の新記録で優勝。三十歳になった昭和八年の第七回大会でも三十二分○六秒の新記録で優勝しました。
昭和十一年のベルリン・オリンピック一万メートル四位入賞の村社(むらこそ)講平選手も「小柳選手を破るのが自分の目標だ」といいました。
この小柳選手の名を付けた大会は、小柳さんが亡くなった五年前の昭和二十六年、小柳賞短縮マラソンとして始まりました。